モデラーの視点から考える国鉄型

おかげさまでブログ設立1周年となりました。これからも当ブログをよろしくお願いします。 主に国鉄型車両の模型を紹介したり、実物車両の考察を行うページで、後世の鉄道ファンに国鉄時代・国鉄型車両をきちんとした姿で伝えることが目標です。

プロフィール

東京西鉄道管理局

Author:東京西鉄道管理局
□居住地
東京都多摩西部

□社会的な身分
学 生

□趣味
鉄道・鉄道模型・車・バス・テレビ・パソコン・ピアノを弾くこと
【趣味に関して、詳しい説明は2007年5月30日の日記をご覧下さい。以前より詳しく書いています。】

□一応趣味歴15年。私の鉄道趣味に対する主義・主張
何でもかんでも国鉄型ばかりスポットをあてずに、自分の好きな電車を追い求めて欲しい。何も去りモノブームにみんなが便乗することは無いのだから。

□注意事項
当ブログに書いてあることをコピーや転載、他のサイトに書き込みを原則禁止します。大抵の記事では、参考文献などの資料を記してあるので、そちらを参照していただけるようお願いします。
万が一、コピーや転載を行いたい場合は、事前に連絡をしてください。
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連載:中央快速線ダイヤ解析 その2

カテゴリー : 中央線(快速)
前回記事にて、
(日頃中央快速線の運用観察を行われている方々はどのように思われるでしょうか?もし、閲覧者の方でいらっしゃいましたら、コメントを記していただけると非常に有難いです。)
と触れましたが、今日現在そのようなコメント記事は無く非常に残念に思っている次第です。一人の中央線利用者である私が全ての列車を調査することは出来なく、日頃から熱心に調査を行われている方々の意見を是非ともお聞きしたいと思っていたのですが・・・。

オール201系の時代(末期)は固定編成…34本、分割編成…25本の計59本で運転が行われていました。
人身事故発生時または、昼までにダイヤが乱れ見た目は回復しているものの、夕方または夜に分割運用を控えているH運用は途中で運用差し替えがよく行われていました。その一例を示したいと思います。

1507H東京発15:10→青梅着16:40,1606H青梅発16:45→東京着18:05という運用に午前中に起きた人身事故の影響にてT編成(固定編成)が担当されていたとします。
すると運行指令本部は、1718T武蔵小金井発17:29→東京着18:07の運用を担当する列車に分割編成を武蔵小金井区から出庫させるように準備させます。1606Hは国分寺で中央特快の接続待ちを受けて、武蔵小金井を定時では17:28発で発車しますがこの日のみは「本日に限りましてこの列車は29分発とさせて頂きます。お急ぎの所お客様にはご迷惑お掛けします。」といったアナウンスを流し18T運用に06HでやってきたT編成を充当させ、18T名義で武蔵小金井区を出庫させた分割編成を河口湖運用に送り込むといったことをしていました。

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趣味歴15周年特別企画:今後鉄道ファンになろうとしている人たちへ その1

カテゴリー : 日 記
あと10日ほどで、ブログは設立1周年となり本来であれば記念プロジェクトの発表が行えるはず・・・でしたが、諸事情により小規模なプロジェクトとなる模様です。期待していた方々は本当に申し訳ありません。

さて、今回から何回か連続してお届けするのが『趣味歴15周年特別企画:今後鉄道ファンになろうとしている人たちへ』という記事です。
鉄道に興味を持ち始めて15年。ピクトリアル誌を執筆されている諸先輩の方々に比べれば、若輩者ではありますが同年代では恐らく中堅ぐらいのポストに属するのではないかと思われます。(ちなみに私は最初から鉄道ファンであったワケでは有りません)

鉄道ファン業界に15年間在籍させて頂いて、今後鉄道ファンになろうとしている人がもしこの記事を見てくれればこの点にだけは注意して欲しいということをまとめてみようと思います。

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連載:中央快速線ダイヤ解析 その1

カテゴリー : 中央線(快速)
『連載:さよなら中央快速線の201系と中央ライナーの183・189系 その4』を掲載して以来の中央線関係の記事になると思われます。

「その5はどうなったんですか

時期が大分遅れましたが、183・189系の思い出について書いてみたいと思います
3月末以降、201系にお世話になっていないのでまた乗りたいと思いつつ、201系がお飾り的存在になってしまったことに対して、非常に複雑な心境を抱いている今日この頃です(→このことに関しては後日記事にして掲載予定です)。

平成20(2008)年3月15日のダイヤ改正が行われて1ヶ月が経ちました。
この間に、中央快速線の201系は2本か3本程度となり,青梅線の201系なんてトンと見なくなりました。前述のその4の記事にて、私は
片一方の利用客のみが優遇されるダイヤの見直し,直通路線の本線扱いをするといったことをしなければ、E233系導入により“古いしきたり”をぶっ壊した意味は、“無意味”と化すであろうと私は思います。
と書きました。このブログを日頃ご覧になられている方は、私がE233系のことが大嫌いなのはご存知だと思われます。そんな大嫌いな電車であっても、唯一高く評価していた点がありました。
それは顔とかスタイルではなく,中央線用の分割編成と青梅線で使用する編成の共通運用が組めるようになった点に於いてです。

私は、平成13(2001)年頃だったか青梅線に201系を投入した時から、持論で中央と青梅の共通運用化を考えていました。つまり、車両を変えてようやく私の持論が実現したわけです(笑)
というのは言いすぎになっちゃうかもしれませんが中央線を利用する人間として、青梅線を利用される方々にとってみれば、同じ201系電車なのにどうして東京まで行かないの?なんて思っても不思議ではないと思います。鉄道ファンであるからこそ、中央線用編成と青梅線用編成の区別など分かるものの、一般の利用客の方々から見れば、中央線の201系も青梅線の201系も同じに見えたことと思います。

4月に入り新生活が始まりました。そんな新年度早々、中央線でトラブルが相次いでいます。

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実車:モハ454・474の屋根肩部通風口について その2

カテゴリー : 交直流急行型電車
【前回掲載した問題】
どうしてモハ474はパンタ脇のルーバーが3つと少ない車両が多く、モハ454は逆に6つの車が多いのでしょうか?製造当初の時代背景を考えてお答え下さい。
⇔475系は、なぜ南福岡電車区に大量に新製配置することが出来たのでしょうか?という方が分かりやすかったかな

今回の記事はこのテスト問題の答えをお送りしていきたいと思います。
前回の記事にて、コメント欄にこ609さんが交直流急行型の視点とダイヤ改正の観点から回答を記していただきました。私が用意した模範解答は、当時の交通事情・時代背景などを織り交ぜながら回答を記していきたいと思います。

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実車:モハ454・474の屋根肩部通風口について その1

カテゴリー : 鉄道全般に関する考察記事
ちょうど一年前の今頃、私は交直流急行型電車を四苦八苦しつつ覚えていました。
そのトドメとも言われる項目が、モハ454の屋根肩部通風口に関してでした。

屋根肩部通風口のことを別名でファンデリアやパンタ脇のルーバーとも言います。
中央線沿線で育った私は、モハ164-800,モハ168-0といった山用対策を施した電車を数多く見ていたので、大体の電車を見るとき正面もある程度重視しますが、屋根周りを細かく見ます。

そのお陰で、719系のパンタ周辺機器配置の違いとか455系の今回のことを調べる気になったワケですが、これらの問題を解決するにあたり多くの方々のご協力がなければできないことでした。

あれから1年たった今。私はお教えいただいた609さんを筆頭に、基礎的知識を身に付けさせていただいた弱冷。さんにご恩返し企画でこの記事を書いていきたいと思います

まず、どうしてこの通風口が設置されたかを考えて見ましょう。
モハ450・452・454(以上、50Hz交流電化区間で運転可能な車両),モハ470・472・474(以上、60Hz交流電化区間で運転可能な車両)が誕生した頃は、まだ急行型電車は非冷房車でした。【当たり前っちゃ当たり前ですが、将来に残しておくための資料として記しておきます。】
その後、グリーン車→普通車→波動用車(交直流急行型電車には存在しませんが、修学旅行用の167系のこと)という順番で急行型電車の場合は冷房化が行われていきました。その過程で、全車にAU12型クーラーを採用するという考えが先頭車AU12型・中間車AU71型→先頭車AU12型・中間車AU72型→先頭車AU13型・中間車AU72型クーラーというクーラー装置変遷期みたいな歴史が存在します。

直流急行型の場合、パンタ取り付け車両では7個のベンチレーターが存在しました。モハ164-800番台は更に低屋根部分にルーバーが存在しましたので、そこからも風の取り入れは出来ました。
交直流急行型電車の場合、交流機器が配置するため5個しか設置できませんでした。その為、低屋根部分の有効活用として屋根肩部通風口すなわちパンタ脇のルーバーを設置しました。

モハ454-8までとモハ474-34まではパンタ脇のルーバーが3つでしたが、これ以降の車は6つに変更されています。

ではここで問題です。
どうしてモハ474はパンタ脇のルーバーが3つと少ない車両が多く、モハ454は逆に6つの車が多いのでしょうか?製造当初の時代背景を考えてお答え下さい。

このパンタ脇ルーバーは冷房化が行われると、段々と邪魔者扱いになり封鎖される車両が相次ぎました。先ずはじめに北陸地区、次に九州地区、そして最後に東北地区。その具体的な時期の特定は非常に難しいのが現状です。

東北地区に関しては、609さんからお教えいただいたように、99年冬〜02年頃という時期が最も有力ですが、北陸地区は・・・。

次回はもしかしたら、その北陸地区の時期が特定できるかもしれません。

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